父が亡くなった話。

こんにちは!じょりです。
突然ですが、父が亡くなりました。
平成30年6月26日でした。
54歳で、死因はガンでした。
ブログに書くのはいかがなものかと悩みましたが、この感情を書き残すために記事を書くことにしました。
時々読み返して、大切な人との時間を大事にできるようにと。
ただの暗い記事で、特に有益なことは書かないのであしからず。
父が亡くなる前の話
父は4年前にガンが発覚しました。
お腹が痛い日が続いて、我慢していたようで腸閉塞になり病院へいったところ大腸ガンでした。
肺にも転移があったようでステージでいうと4で、つまり「末期ガン」でした。
そこからは闘病しつつも、普通に働いていて結構元気に過ごしていました。
でも最近になってからは急激に容態が悪化していったんです。
6月に入ってからは、びっくりするくらいやせ細ってしまって、二の腕が私の手首くらいに。
秋を迎えられるかなって心配になるくらい。
体力が衰えてきて、治療が難しくなってきたので緩和ケアに移る方向になりました。
緩和ケアの手配をしている最中でしたが、急に病院の部屋が個室に映りました。
病状が悪化したようでしたが、なんだかんだまだ大丈夫だと思っていたんですよね。
昨日の夜は父が一人になりたくないからと、母へ病室に泊まってくれるよう頼んでいました。
もしかしたら、父は何か悟っていたのかもしれません。
私は今日の昼間にいつものようにお見舞いをして、予定があったから「じゃあまたあとでね〜」といつものように病室を出ました。
父は今日はとても寂しそうにしていましたが、また会えるものだと思ったからあまり気にしませんでした。
でも、それが父との最後の会話になりました。
父が亡くなった時
父が亡くなった時はカメラマンの仕事をしていました。
姉からLINEが入りました。
「容態が急変したのでいつ逝ってしまってもおかしくないらしい」
カメラを持つ手が震えました。
そこから数分後
「亡くなりました」
との連絡が。
本当に申し訳なかったのですが、撮影を中断し、カメラを残し早めに退散させていただきました。
報告を聞いた時の最初の感情が、「ああ、これで苦しまなくて済むのか」という安堵感だった。
でも人に報告した瞬間、一気に悲しさが押し寄せて。
たくさん人がいる池袋という街を号泣しながら早歩きした。
平成の次の夏は迎えられなかったよ。本当にありがとう。お疲れ様。愛してるよ。
— じょり裏アカ (@jyori_output) 2018年6月26日
帰りの電車も涙が止まらなくて、人目を気にせずにただボタボタと涙をリュックに垂らしていました。
私はかなり動揺していたのか、行き慣れた病院の道を間違えてしまい、大幅に時間のロスをして自分にイライラしていました。
そして、急いで病院に戻った時、父は霊安室にいました。
安らかな表情は、とても死んでるとは思えなくて、ただ眠っているようでした。
でも、遺体の引き取りの業者の方が白い袋に父を包んだ時
「本当に死んでしまったんだ」
と痛感しました。
もう、二度と話せないんだと。
そしたら涙が止まりませんでした。
父が亡くなった後
家族が亡くなってしまったあとは忙しいです。
たくさんの方に報告、親戚に報告、これからやることを調べたり。
忙しい方が悲しい気持ちと向き合わなくて済むからちょっと助かりました。
肉体も精神的にも疲れていたけど、業者の方と深夜1時半まで打ち合わせをして葬儀について確定してきたところです。
打ち合わせとか会議とか苦手だったけど、フリーランスになってから学んだことが役立って良い感じに進みました。(鍛えてくださった方本当にありがとうございます!)
明後日に家族葬をすることになり、その後も色んな届け出やら解約手続きなど忙しくなりそう。
でも、今はその忙しさに感謝する時期だと思っています。
正直今はそこまで、父が亡くなった実感はありません。
ただ思うこと
後悔をしても無駄だと思うけど、やっぱり考えちゃうんですよね。
もっとお父さんにしてあげられたことっていっぱいあったなって。
大好きな野球をもっと一緒に観に行けばよかった
好きなラーメン屋さんに付き合ってあげればよかった
もっとお見舞いに行けばよかった
もっと感謝の気持ちを伝えればよかった
もっと写真を撮っておけばよかった
思えば思うほど、「もっとああすれば良かった」しか考えられなくなります。
そんなこと思っても無駄だというのに。
だから、この気持ちをしっかり心に刻みます。
この後悔の気持ちからしっかり学んで、母をたくさん大切にしようと思います。
ここまで読んでくださった方へ、どうか大切にしたい人をたくさん大切にしてください。
いつでも会える人は、いつかアッサリと会えなくなります。
どうか、後悔の無いように。